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宝石商リチャード氏SS再録4

※本作は、「宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン」特典SSです。「天使のアクアマリン」本編の内容に微妙にかかわる内容ですが、あくまで微妙なかかわりです。閲覧の際はご了承ください。

空漠のセレスタイト

 これを持って行かないか、と。

 美貌の宝石商は、石を手に問いかけてきた。携えているのは、まるきりじゃがいものような石だ。かさかさしていて、まるで飾り気がない。子どもの握りこぶしくらいはある。

「取引先がおまけにつけてくれました。ほとんど押し付けられてしまったのですが」

 そんなことを言われても。これを持っていってどうするんだと俺が尋ねると、たとえば贈り物にするとか、とリチャードは言った。谷本さんのことを考えているのだろう。確かに鉱物岩石を愛する彼女なら、こういう素朴な石も好きだとは思うが。

「いや……この前買ったアクアマリンも、まだ保留になってるわけだし」

 俺の方にも、個人的に準備している彼女にあげたい石がある。そのあたりのことを考えると、贈り物を乱発するのはいかがなものかと、うにゃうにゃ遠回しにお断りすると、リチャードはハッとしたように俺を見た。ぼうっとしていたらしい。俺がああまたかという顔をすると、失礼と宝石商は恥じ入った。

「少し、考え事をしていました」

「だったらいいけどさ」

 最近、こういうことは珍しくない。お客さまがいる時にこんなことは起こらないが、店に俺しかいない時には、店主の反応が鈍いのだ。厨房の戸棚の菓子が減るスピードも明らかに落ちている。賞味期限の迫ったものを選んで、業務的に消化しているようで、いつものリチャードらしくない。消化のいい中田正義謹製プリンだけは作った分だけ減るのだが。

 理由は分からない。正直かなり心配だ。

「……何か俺に、手伝えることあるか?」

 俺が何気なく尋ねると、リチャードは溜息とも笑い声ともつかない声をあげた。

「そうですね、最近私の住まう宮殿のまわりに、四十人の盗賊が出没するようになりまして、うるさくてかないません。あなたが魔法使いなら、杖の一振りで退治していただきたい所ですが」

「アラビアンナイトの話か? いや、真面目な話、ストーカー被害とか」

「冗句です。特に困っていることはありません。ああそういえば、まだ……正義」

 こちらへ、と呼ぶリチャードはソファに腰掛け、対面の席を俺に促した。手には石を携えたままだ。だから何なんだその石は。

「呪文を。アラビアンナイトにあったでしょう。洞窟を開く魔法の言葉が。知りませんか?」

「魔法の言葉って……『開けゴマ』?」

 俺がそう言うと、リチャードは微笑み、石を二つに『割った』。ほくほくのじゃがバターを割るよりもソフトな手つきで。最初から割れ目が入っていたのだ。

 手のひら大の石の中は、宝の洞窟だった。

 キラキラ輝く水色の結晶がみっしりと詰まっている。外はあんなパサパサの砂色の石なのに。天然のびっくり箱か。よく見ると中央が空洞になっていて、真空地帯を取り囲むように、結晶がキラキラ輝いている。水晶か? いや、別の石だ。こんな色の水晶は見たことがない。淡い青の部分もあれば、ほとんど白っぽい部分もある。何なんだこれは。

「リチャード、この青い石は……?」

「セレスタイト。日本では天青石(てんせいせき)とも呼ぶそうですね。割れやすいのでお気をつけて。ジオードという名前を聞いたことは? 日本では『晶洞』と呼ぶそうですが、熱水などの働きで、母岩とは異なる鉱物が内側に晶出している『鉱物の洞窟』です。セレスタイトに限った現象ではなく、水晶、瑪瑙などのジオードも存在します。私としたことが、うっかりしていました。割って見せなければ、この標本の本質は分かりませんね」

 俺の頭はアリババと四十人の盗賊の物語を思い出していた。開けゴマの呪文でアリババが洞窟を開くと、中は宝の山なのだ。あのお話を考えた人は、ジオードを割って感動した人だったのかもしれない。リチャードは二つに割れた標本の片割れを俺に渡してくれた。

「……世の中には面白い石があるなあ」

「こういったことならば、あなたのガールフレンドの方が詳しくご存じでしょう」

「ガールフレンド『になってほしい人』な!」

「大変失礼いたしました。随分長く同じ訂正を聞かされてまいりましたので、そろそろ変化があったものかと」

「余計なお世話だよ」

 俺がむくれると、リチャードは少し笑った。金色の睫毛に縁どられた青い瞳が優しげな色になる。あれ。そういえば。

 俺が怪訝な顔をしたまま、リチャードの顔を見つめて硬直すると、美貌の宝石商は眉間に軽く皺を寄せた。俺が全く視線をそらさないので、目は見えているかと言わんばかりに軽く手を振る始末だ。見えてるって。

「なあ、この石の名前、何だっけ。セレ……」

「セレスタイト。『セレス』の語には『天空』の意があります。命名者の意図は明白でしょう。地中で育まれるこの石に、澄んだ青空の輝きを感じたのですね」

 澄んだ青空。確かにそんな色だ。でも。

「俺、空よりこの色そっくりのものを一つ知ってるよ」

「……思い浮かびません。私も知っているものですか」

「絶対に知ってると思う」

「何です?」

「お前の目」

 俺がそう言うと、リチャードはブルーの瞳を少し、見開いた。

 この店で外国のお客さまに慣れまくったおかげで、俺は一口に『青い瞳』と言っても全部が全部同じではないことを知った。スミレ色と自己申告なさったお客さまの目は、濃いグレイとブルーが混じり合った色だったし、ベタ塗りの水色の絵の具のように鮮やかな瞳の人もいた。人間の瞳は、まるでガーネットやトルマリンと同じ、いろいろな色をもつ宝石だ。リチャードの瞳は淡いブルーグレイだ。一見冷たい色合いだが、微妙な濃淡があって華やかだ。瞳孔の近くと外寄りとで、色味が少し違う。このセレスタイトのように。

「おまけでつけてくれた人も、似たようなことを考えたのかな」

「…………」

 リチャードは沈黙した。あ。あー。うむ。

 石をおまけしてくれた相手の事など俺は知らないが、もしその人がガチでそういう石を選んでリチャードに贈ったのだとしたら、まったくもって恋人募集中などではないこの宝石商は、微妙な気分になるだけだろう。よし。

「分かった。もらっとくわ。割れやすいんだっけ? 気を付けて飾るよ。サンキューな」

 俺が石の片割れをかざし、もう片方を受け取ろうと手を伸ばすと、リチャードは一瞬変な顔をした。えっ。何なんだ。さっきはあんなに押し付けたがっていたように見えたのに。中腰のまま俺は硬直してしまった。どうすればいい。

 リチャードは青い瞳をまじまじと見開いて、俺を見つめたまま、喋った。

「その石を、あなたは誰かにあげますか?」

 一語一語、ゆっくりとした発音だった。

 どういう意味だろう。あげろと言っているのか? 違いそうだ。声のトーンが低い。言いたいことがあるならもうちょっと分かりやすく言ってくれ。どっちだ。あげると言えばいいのか。あげないと言えばいいのか。いや俺はこの石をもらってどうしたいんだ。 リチャードの瞳の色の石を誰かに、たとえば谷本さんにあげるだろうか? 

「あげない、と思う、よ」

 あげられないだろう。自分自身にも理由はうまく説明できないけれど。

 リチャードは微かに笑ったように見えた。

「そうですか。では」

 キープゼム、とリチャードは言い、セレスタイトのもう半分も俺の手に乗せた。『お持ちなさい』だ。分かった。ありがたく受け取る。でも今の間が一体何だったのかは教えてほしい。何でもなかったのか? またぼうっとしていただけなのか。それとも俺には言えない巨大な悩み事があるのか。

 意を決し、俺は立ち上がったリチャードに声をかけようとしたが、逆に話しかけられて、出鼻をくじかれてしまった。

「そうそう、トリビアをもう一つ。『セレスタイト』は初耳でも、硫酸ストロンチウムと言えば多少はなじみがありますか? 非常に鮮やかな色の炎をあげて燃える鉱石で、花火の原材料としても重宝されているとか」

「石が燃えるのか! 保管に気をつけなきゃいけないな……いやそれはそれとしてだな」

「そこまで用心しなくとも自然発火するようなことはありませんよ。ですが」

 リチャードは少し首をかしげるように、俺の方を振り向いた。笑っている、のか?

「いつか腹に据えかねるようなことがあったら、割るなり燃やすなりするのも、まあ、いい活用法かもしれませんね」

 腹に据えかねること? どういう意味かと尋ねる前に、リチャードはふらりと立ち上がり、厨房に消えてしまった。石を割るだなんて、リチャードの言葉とも思えない。五分もすると出てきて奥の部屋にこもり、英語で電話をかけている。厨房の流し台を見ると、俺のプリンの器が一つ、空になっていた。座って食べればよかっただろうに。

 洗い物を済ませて応接間に戻ると、ガラスのテーブルの上には、半分に割れたセレスタイトのジオードが横たわっていた。

 この石を二つに開く時、リチャードは呪文を言えと俺に告げた。くだらない連想だが、呪文の一つで心の扉も開いたらいいのに。秘密を全部知りたいなんて思わない。時々悩み事を打ち明けてくれる程度の事でいい。

 でも仮に、あいつが心の洞窟を開いてくれたとして、胸中にあるものは何なのだろう? それは俺が見てもいいものなんだろうか?

「まあそういうことを、あの時の俺は考えていてだな」

「その節は大変なご迷惑をば」

「こう、俺も力になれることがあるのかな、でも打ち明けてくれるかなって、ちょっと不安でさ、でもわざわざそんなことは言えなくて」

「おかけしましてお詫びの言葉も」

「もやもやしたなあ」

「ございません」

 店主は首振り人形のように、俺に謝罪の言葉を繰り返した。全然気持ちが入っていないのは、俺の恨みがましい言葉も同じである。観客のいない漫才のような一幕だった。自分たちのために笑い話をするというのも、何だか奇妙な感覚ではあるが、一歩引いて考えてみるとなかなか楽しい。

 もうすぐクリスマスという時期、猛烈なお買い物をなさるお客さまがやってきて、彼女が去り際に一言、リチャードの目を「セレスタイトみたいな色ね」と褒めたことが、思い出話のきっかけになった。これ以上変な漫談をしている暇はなかったので、俺はきりあげて厨房に入った。お茶の作り置きを準備しておかなければならない。最近のこの店は忙しいのだ。繁盛するのはいいことだ。

 あの時のセレスタイトは、最近買ったばかりの金庫の中に鎮座している。あの石は割れやすいというし、燃えやすいというが、あの金庫の中なら安全だろう。天地がひっくり返るようなことがあっても、俺はあの石を割らないだろうし、燃やさないだろうし、その他何かの方法で害そうとは思わないだろう。もちろんあげもしないだろう。

 それは確かだ。

 エトランジェは今日も平和である。

(初出 2016/11/18「宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン」特典SS  2017/10/20加筆修正)


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