top of page

宝石商リチャード氏webSS

空港にて

 こんにちは。

 相席よろしいですか。込み合ってきたみたいで。

 そんなに長居はしません。コーヒー一杯で立ち去ります。

 どうも。

 さすがにこの時期になると、この地方も少しは冷えますね。あなたもここで乗り換えですか? ああ、ドイツからの帰り道ですか。羨ましい。お住まいがシンガポールなら、もう目と鼻の先ですね。

 それ、アドベントカレンダーですか。

 お嬢さんへのおみやげなんですね。おいくつですか? 八才。可愛い盛りでしょうね。ははは。このメーカーは知ってますよ。チョコレートの老舗だ。いいお店を選びましたね。全部食べられる日がきっと待ち遠しくなります。

 え?

 これが何だか、ご存じないんですか?

 ご存じないのに買ったんですか。

 ああ、なるほど。確かにこれは『箱詰めのお菓子』ですし、『お子さまのクリスマスのおみやげにぴったり』って薦められてもおかしくない。間違っていませんよ。

 ただ、ちょっとだけ食べ方が特殊なお菓子なんです。

 この箱詰めのお菓子はですね、イエスさまの誕生日を指折り数える、カウントダウン・カレンダーなんです。

 大きなパッケージの表面に、1から25までの数字の入った扉があるでしょう?

 十二月になったら、これを一日に一つずつ食べるんです。日付に対応する数字のついた扉をあけて、毎日、毎日。一つひとつの扉ごとに、違うかたちのチョコレートが入っているはずですよ。星とか、そりとか、クリスマスツリーとか。毎日開けるのが楽しみになるように。

 そうだ、お子さんはおひとりですか? ふう、安心しました。子どもがたくさんいる家庭なら、子どもたちの人数分贈るのが定番ですからね。

 何のためにそんなことをって、まあ、ヨーロッパの古い風習の名残りですね。

 でも確かに、どうして一気に全部食べちゃいけないのか、「体に悪いでしょ」以外の言葉で、合理的に説明してもらったことは、確かに一度もないな。

 僕?

 ええ、僕の家でも、昔はそういうことをやっていましたよ。

 古風な家柄でしたからね。

 お子さんが一人で本当によかった。

 コーヒーが切れましたね。まだお時間あります?

 無駄話でもしましょうか。

 マシュマロ実験って知っていますか? 心理学の実験です。三歳くらいの子どもを、監督官の大人が誰もいない個室に連れて行って、マシュマロのお皿の前の椅子に座らせる。他に人はなし。そして「私は今から用があっていなくなるけれど、このマシュマロを十五分間、食べずにとっておけたら、あとでもう一つマシュマロをあげる」って言いおいて、部屋に一人きりにするんです。

 子どもの目の前にはお皿に乗せられたマシュマロがひとつ。

 部屋には他に誰もいない。実験なので、監視カメラはありますけどね。

 おちびちゃんはマシュマロを食べるか、我慢できるか。

 三分の二の子どもはマシュマロを食べます。でも三分の一の子どもは、十五分間我慢できるんです。見てる方が苦しくなるような葛藤を全身で表しながらね。実験のビデオ、動画サイトで公開されていますよ。ああいうの見るの好きなんです。いえ、僕の仕事は金融関係なので、そういうことではなくて。こっちは純粋な趣味です。

 この実験は追跡調査がふるっているんです。ここでマシュマロを食べずにとっておけた子どものほうが、食べてしまった子どもに比べて、学力テストで高いスコアを得ていることが多い。成人後の収入額も有意に差がある。

 自制心の有無こそが、その人間の将来を決める、ってことですかね。

 己を律する心のないやつは将来が心配だ、とも言えるかな。

 いえ、僕には子どもはいません。気ままな独身です。

 僕の家のクリスマスですか? 大したことはなかったと思うなあ。

 うちには子どもが、僕をいれて、三人いましてね。

 全員男です。僕が真ん中。上下に一人ずつ。

 アドベントカレンダーも人数分ありましたよ。ちょっとしたルネサンス絵画くらいの大きさですから、十二月の間は、三人分クリスマスツリーの近くに立てかけてありましたね。食事の後、みんなで決まった時間に食べるんです。他にも人がいるところでね。家族とか、お手伝いさんとか、あとはお客さまとか。

 なんだかパフォーマンスをさせられてるような気分でしたね。

 兄弟の中でひとりだけ、我慢できないと悲惨でしょ?

 全員きちんと我慢できたかって? それはもちろん。僕たちは品行方正な三兄弟でしたからね。何の問題もありませんでしたよ。

 ある一年を除いては。

 一年だけ、壮絶なフライングがありました。

 末のやつがね、初日に扉を全部あけて、二十五個一気に食べたんです。二十五個ですよ。信じられない。「チョコレートの質は日一日と劣化してゆくものなので、できることならば最もおいしい時に食べるべきだ」とか、真顔で言うんです。お前はまだ六才だろ、チョコのクオリティなんて気にするなよって、誰か言ってやればよかったのに、あいつは本当に堂々とどうでもいいことを語るから、みんな何も言えなかった。ああ、思い出すだけで笑えてくる。

 それからの二十四日間は、三人でふたつのカレンダーの中身を、わけあって食べました。

 毎日誰かひとり、チョコを食べられないんですけど、それを三人でローテーションした。

 いいクリスマスだったな。

 あれって今考えると、クリスマス休暇中のアピールタイムだったんです。

 誰にって、保護者にですよ。何をって、自分の成長度です。

 おいしいものも我慢できます!

 将来のためにがんばれます!

 立派な大人になります!

 当社調べ他兄弟比! ってね。

 末の弟は、いわゆる天才タイプでした。何をやってもうまくやる。金勘定もコミュニケーションもうまかった。そういう人間が歩く道って、生命の樹みたいになっているんです。知ってますか? 博物館の進化論のコーナーの壁あたりによく展示されてます。原生生物が今この時地球上にいる生物の形になるまでの、進化のマップみたいなものです。

 枝分かれに次ぐ枝分かれ。どんな場所にも行くことができる。何でも意のまま思いのまま。

 他方僕の兄は、実直を絵に描いたような人でね。昔からそうだった。

 要領が悪いわけじゃないんです。でも真面目すぎて、ちょくちょくつまらないことに足元をすくわれてた。休暇の直前にも、母の大事にしていたお皿を割ってしまっても、うまく謝れなかったり、ピアノの練習が高じすぎて父に叱られたり、散々な感じでしたよ。子どもらしく振舞うのが本当に下手だった。

 二三日後、そんなに甘いものが好きだったなんて知らなかったよって、末のやつに二人きりの時に話しかけたら、あいつはしばらく何も言わなかった。

 そのかわりに何だか、変なことを言った。

 「他にどうすればいいのかわからなかった」って。

 アピールタイムはアピールタイムだったんでしょうけれどね。

 あいつ一人だけ、アピールしたい相手が僕たちと違ったんでしょう。

 人間関係の構築の時に、自分から相手に対価を差し出すような関係は、健全とは言えません。メリットの提示は、友達じゃなくて取引先にすることです。そういう人間関係は遅かれ早かれ破綻します。むしろ破綻すべきだと思います。そうでなければ一方的な搾取がずっと続いていることになりますから。

 マシュマロ実験の結果がどうであれ、どんな風に生きるのかはその人間が決めればいいことだし、横やりをいれるのはナンセンスな話です。

 でも僕はあれからずっと――

 あれっ、もうこんな時間ですか? いやあすみません、困っちゃうな、これからトークの仕事が一本入ってて、クリスマスの話をしなきゃいけないんですけど、これじゃ練習につきあってもらっちゃったようなものですね。いやあ本当にすみません。

 え?

 今の話ですか?

 半ばフィクション、半ば真実って感じですかね。

 僕に兄弟は一人しかいませんから。

 はい。いい兄ですよ。

 お嬢さんによろしく。素敵な休暇をお過ごしください。

 アドベントカレンダー、喜んでもらえるといいですね。

 もし我慢できなくて、先に幾つか食べちゃっても、どうか叱らないであげてください。そのかわりに話を聞いてあげてください。

 子どもも子どもなりに、いろいろ考えることがあるんです。

 すっかり長居してしまいましたね。やっぱりベトナムのコーヒーはおいしいな。このコンデンスミルクがいいですね。ほろ苦くて甘いなんて、子ども時代を思い出すのも無理ないかな。

 ご縁があったら、またどこかで。

 さて、そろそろ成田からの便が到着する頃か。

(2017年12月24日、web用書き下ろし)


Featured Review
Tag Cloud
まだタグはありません。
bottom of page