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ハーキマーダイヤモンドの夢

 四月八日。今日は特別な日だ。なんと、なんと、俺の大好きな谷本晶子さんの誕生日である。それほど親密ではない相手から贈り物をしてもあまり違和感のないスペシャルな日だ。去年の俺が彼女の誕生日を知った時には既に五月になっていた。時すでに遅し。しかし今年こそは何か渡したいと思って、かねてから準備していた今日この日である。具体的に言うと去年の冬ごろから準備していた。 「たっ、た、たた谷本さん! よかったら、これを、うけとって、ほしいんだどうぞこれ! 誕生日おめでとう!」 「わあぁ、正義くんありがとう」  小学生の調理実習のにんじんの如くブツ切りにされた俺の声は、あまり気にせず、谷本さんは中央図書館前のベンチで、俺の贈り物を受け取ってくれた。キャラメル箱のような小さな紙箱で、中には透明なニス紙で包まれた小さなものが入っている。中身を確認した彼女が、わっと小さく声をあげた。嬉しそうな声だ。もう俺の方が嬉しくて嬉しくてどうにかなりそうである。散りかけの桜まで何だか嬉しそうに見えてくる。 「……こんなにいいもの、もらっていいの」 「あの、四月だから、ぴったりかなって!」 「うん、うん」  谷本さんは黒いおかっぱの髪の毛を揺らしてはにかんでいる。と、彼女の友達が気づいて、こっちに近づいてきた。みきちゃーんと谷本さんが明るい声で呼ぶ。みきちゃんは黒い髪をひっつめにして、図書館の本を小脇に抱えている女子だった。 「晶子ちゃんどうしたの、彼氏? いないんじゃなかったっけ?」 「正義くんは友達なの。経済学部の人だよ。二年の時に必修の授業が一緒だったの」 「へー。それなあに? キャラメル?」 「ふふ。違うよ、ダイヤモンド」 「えっ、それはさすがに嘘でしょ? ダイヤモンドなんて」  谷本さんは俺に、いい? と問いかけてから、お友達に『それ』を箱ごと手渡した。  中に入っているのは、キラキラ輝く透明な石だ。

 みきちゃんはおっかなびっくり中身を確かめ、眉根を寄せた。表情豊かな人だ。 「……やっぱこれ、ダイヤじゃなくない? ダイヤってもっときらきらしてるよね」 「正義くん、解説してあげて」 「お、俺がっ?」  釈迦に説法ならぬ、釈迦の前で説法である。しかし谷本さんのお友達の前で醜態をさらすことはできない。ここは一発気張るべきところだろう。がんばれ中田正義。今だけお前はリチャードの役回りである。外見はともかく。 「ええと……分類的には、確かにダイヤモンドじゃなくて、水晶ですね」 「でもね、これはちょっと特別な水晶なの。ね、正義くん」 「そ、そうですね、はい。ええと、ニューヨークでとれるもので……石好きの間では『ハーキマーダイヤモンド』って呼ばれてます」 「えっ。水晶なのにダイヤなんですか」  それは間違った名前じゃないんですかというみきちゃんに、残りは谷本さんが説明してくれた。石の中には『フォルス・ネーム』と呼ばれる、お飾りの名前をもっているものが幾つもあるのだと。ペリドットが『イブニング・エメラルド』、コーディアライトが『ウォーター・サファイア』、パイロープ・ガーネットが『コロラド・ルビー』などなど。『我が町の美空ひばり』とか『下町のベーブ・ルース』みたいな箔づけである。悪質な宝石商の中には、鉱物の真実の名前を語らず、あたかも本物の『エメラルド』『サファイア』のように売りつける人もいるので注意が必要だが、実のところを知っている人にとっては、雅な名前として愛されることもあると。 「このハーキマーダイヤは、ニューヨークのハーキマー州でとれる、ころころした形の水晶のことなんだ。昔のニューヨークは海だったんだよ。透明度が高くて、カットされたダイヤモンドみたいな面があるから、こういう名前で呼ばれてる。原則としてハーキマー州でとれた水晶の名前にしか使えないはずなんだけど、中国でも似たような石がとれるから、そっちでとれた石を『ハーキマーダイヤモンド』として売るお店もあるみたい」 「晶子ちゃん、石、めっちゃ詳しいね! 正義さんに教わったの?」  逆です、俺が教わってるんですというと、みきちゃんは不思議そうな顔をして俺たちを見比べ、そうなんだと言いたげにうなずいた。そうなんです。まだ納得していない顔のみきちゃんに、谷本さんは追いかけるように、俺は谷本さんの『恋愛応援団みたいな人』だと紹介してくれた。彼氏をつくろうとしている自分を、陰ながら応援していてくれる頼れる友達。間違ってはいない。今はそういう役回りである。頼ってもらえるのは嬉しいし。  そういうのもあるんです、と俺が肩をすくめても、みきちゃんはまだ眉根を寄せていた。何だろう。俺の顔に何かついているだろうか。俺が首をかしげると、二つの目と口でOの字と作った。何だ。びっくりしてしまう。 「知ってます、あなたのこと! ミニ羊羹六本つめあわせ! 時々もなか!」  え? ミニ羊羹六本つめあわせ? あっけにとられている俺が説明を求める前に、彼女は呻いて、自発的に説明を始めた。 「すみません、びっくりしましたよね。あの私、今年の二月まで、銀座のお菓子屋さんでパイトしてたんです。六丁目の和菓子屋さん。それで、あの、常連さんでしたよね?」 「……ああー! 思い出した! 割烹着みたいなエプロンの制服ですよね、あのお店」  盛り上がる俺たちの隣で、谷本さんがぽかんとしている。みきちゃんは今度は谷本さんに向き直り、自分がバイトしていた店に、俺がしょっちゅうお菓子を買いに来ていたこと、大体いつもミニ羊羹六本詰め合わせを領収書つきで買っていったことなどを語った。時々もなかも。制服のお店だったし、店員さんの顔を気にしたことはなかったのだが、まさか同じ大学の人とは思わなかった。 「あそこの羊羹、おいしいですよね。うちの店主も好きなんですよ。その節はどうも」 「一回か二回ですけど、資生堂パーラーに入っていくところも見かけましたよ。あの……すごい金髪の人がいますよね、あそこには」  ジャングルには巨大なアナコンダがいますよね、というような、凄みを感じる口調だったが、言いたいことはわかる。あいつの美貌は人間をやめてるレベルだ。何故か声をひそめてくれたので、俺もひっそりした声で、ええまあとお返しする。上司というのはその人で、大体俺は彼のためにおつかいをしてたんですよと打ち明けると、みきちゃんは唇を引き結び、いろいろ大変だねと谷本さんに呟いた。どういうこと? と首をかしげる谷本さん同様、俺にもよくわからない局面なのだが、みきちゃんはわざとらしく声をあげ、図書館に返しに行くという本をかかげた。 「昼休みのうちに済ませなくちゃ! じゃあ晶子ちゃん、またね、頑張って! あと中田さん、ほどほどにした方がいいですよ。中田さん、気回し上手でおしゃれで優しいタイプでしょ。男の理想レベルが上がっちゃいます」 「えっ、えっ?」  どういうことだろう。和菓子屋さんでの応対しかしていないはずの相手なんて、ほぼ他人みたいなものだろうに、気回し上手でおしゃれで優しい? ちょっと意味が分からない。  あれはどういう人なんだろうかと、俺が迂遠に尋ねると、みきちゃんはとっても明るい子なんだよと微笑んでくれた。わかった。谷本さんが気にしていないなら、俺も気にしないようにしよう。どうしたのと問いかける彼女に、なんでもないんだと笑ってごまかすと、谷本さんは少し、肩をびくりとさせた。 「……正義くん、ごめんねえ。彼氏はまだ、できないの」 「うぇ? いや! あ、あ、謝るようなことじゃないと思うよっ」 「そうかなあ。やっぱりすごく難しくて……難しく考えすぎてるだけなのかな? でも、自分のことだし、考えすぎるってことは、ないと思うんだよねえ」

 そうかな、と言った俺の言葉に、嘘はなかったと思う。なかったと思いたい。下心がないと言い切れるほど俺は自分を信用していない。でも彼女を心配する気持ちは本当だと、そのくらいのことは信じたいのだ。 「谷本さんのいいと思うようにするのが一番いいよ。無理しないでさ。今は忙しい時みたいだし、余計なこと考えると大変だろうし」  われながら虫のいいことを言っている。本当に俺が彼女に贈りたかったアクアマリンは、結局今は俺の家の金庫で、ホワイト・サファイアのお隣さんになっている。石に人格があるとは思わないが、色合いが優しくてよく似合うので、仲良くやっているようにも見える。 「正義くんは優しいから、甘えちゃいそうになるんだけど、だめだね。しっかり自分の脚で立てるようにならないと、申し訳ないよ」 「谷本さんの役に立てるんだったら、俺は……すごく、嬉しいんだけどな……」 「あっ、なら私と一緒。何か困ったことがあったら相談してね。あと誕生日、教えてね」  私も何か贈るから、と谷本さんは笑った。ド直球もド直球でしばらく息ができなかった。嬉しい。でもこれは『お返し』の誕生日プレゼントの話だ。素直に喜びたいけれど、少しだけ切ないものが混じる。ありがとうと俺はうなずき、授業に向かう谷本さんと別れた後、メールをした。

『渡せた! 大成功!』

 あて先は言うまでもない。返事はしばらくなかったが、図書館で課題をやっつけていると短い返事が入った。

『夢を大事に』

 夢。

 そういえば去年の冬、かねてから頼んでいたハーキマーダイヤモンドを仕入れてくれた俺の店主は、品を俺に渡す時に、あの石の不思議な『ご利益』の話もしてくれた。パワーストーンの世界では、何でも夢をかなえる石であるとか、予知夢を見せて状況を好転させる石であるとか、ともかく夢にご縁のある石だといわれることがあるそうだ。谷本さんの夢が、何であれ――いい先生になれますようにであれ彼氏ができますようにであれ――彼女が望むものに近づく手伝いをしてくれる石で、しかも水晶でダイヤモンドなら、もうパーフェクトだ。  図書館の前では、夢のご利益の話まではできなかった。彼女は既に知っていただろうか? 今度会ったとき話してみようか。でもリチャードの言葉の意味は、そういうことではなさそうだ。俺の夢を大事にということだろう。でも俺の夢って何だろう。  図書館で広げているのは公務員試験対策のテキストだ。公務員になること? これは夢というより目標だ。現実問題である。ひろみに恩返し? これも目標だ。夢。夢。たとえば、谷本さんと付き合うこと、か?  顔が赤くなる。何故これが『目標』枠に入らないのか、俺自身よくわからない。でもこれは、そういうのじゃない気がする。相手がいる話であることだし。ええい勉強だ、勉強。  返事をしないで放置している間に、追ってもう一通、メッセージが届いた。

『考えすぎず、目の前の問題を一つずつ』

 リチャード先生のありがたいお言葉である。実は今あなたの後ろにいますという追伸が届いても驚かない察しの良さである。確かに浮かれすぎていた。地に足をつけろよということだろう。そういえばさっき俺も、谷本さんに似たようなことを言った気がする。変な話だ。誰かに言葉をかけることは、自分自身に語り掛けることに似ているのかもしれない。  ありがとうございますとお返事して、俺はスマホを鞄にしまった。こんなことならハーキマーダイヤモンドをもう一つ、自分用に手元に置いておくんだったかもしれない。いやいや、そう簡単な問題でもないか。それこそ夢のない話だが、石が手元にあるかないかで、『夢』へのモチベーションが簡単に変化するなら、宝石商という職業の需要だって今の何万倍かに膨らむだろう。全ては気持ちの問題だ。

 俺にとって、夢への気持ちを膨らませてくれるものとは何だろう。澄んだ水のように輝く石のように、全ての思いを収束させ、こっちだよと導いてくれる、大切な存在は。たくさん浮かぶ。でもあえて絞り込むならば二人だ。

 谷本さんと、リチャード。

 彼女に石を渡せてよかったと思いながら、俺は次の勤務予定日に、ありがたい上司に献上するお菓子のことを考え始めた。数百円の甘い物で無類の美貌の笑顔を浮かべてくれるのだから、彼もありがたい存在である。常連のプリンはもちろんのこと、少しひねりを加えたい。透き通った石のことを考えながらスマホを繰っていた俺は、はたして愛らしい餅にたどりついた。甲州のお菓子で、まるで水のかたまりのような、ちょっと信じられないほど透明な餅だ。つるっとしたくちどけで、そういえば以前テレビで紹介されていたような気がする。

 東京で物産展が開かれているそうで、朝駆けすれば手に入りそうである。これにしよう。

 土曜日の予定をスマホに記入した後、俺は試験勉強を再開した。楽しい予定は幾つあってもいいものだ。苦難の道としか思えない道のりを、『夢』への道だと思わせてくれるのだから。

(初出 「宝石商リチャード氏の謎鑑定 祝福のペリドット」発売時特典SS 2018年12月23日 加筆微修正)

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